がーくん水産~2号店~

阪神間在住の5才児の父による、近隣メインのフィッシング&キャンプなんかのアウトドアアクティビティを中心としたブログです。いろいろご縁がありまして兵庫県北部但馬地方推しになっています。雑多なブログですがよろしくお願いいたします。

家族で奈良に行って、息子がカラスへの殺意に目覚めた日記

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息子が小学生にあがり、どんどん日々の「おもしろ」がふえてきました。
 
吐き出さずにはいれないので、このブログの一角に綴っていこうと思う次第です。
 
このカテゴリーの記事はこんなのばっかりになると思います。
 
ご興味ない方にはすんませんm(_ _)m
 

23年5月20日(土)

ひさびさに家族で同じ休み。
方位占いにハマっている奥さんが調べたところによると、奈良方面が良いらしい。
息子も奈良公園に行きたいと行っていたので(多分、鹿と遊びたいだけ)奈良に行くことにする。
最近、奈良がお気に入りで、月一ぐらいで行っている気がする。
身近で生きて動く、自分の身の丈よりも大きな動物と触れ合うことができる奈良公園の鹿は、息子にとっって最高のエンターテイメントなようだ。
 
昼前に自宅を出発。
1時間程度でJR奈良に到着する。
いつものように、駅前から続く春日大社の参道をぶらぶらと散歩しながら奈良公園に向かう。
小腹が空いていたので、途中商店街に寄り、天ぷらを買食いする。
レジには男性と女性の従業員がいて、忙しそうに客を捌いている。
たどたどしくレジを打つ男性の横で、流暢な英語で外国人観光客の相手をしている女性。
コロナ禍が開け、外国人旅行者が戻ってきている。
よかったね。
 

奈良公園に到着。
袋角の鹿が寝ている。
なにはともあれ、鹿せんべいを購入。
鹿たちにせんべいをあげようとするも、見向きもされない。
たくさんの観光客が戻ってきて、皆がせんべいを買う結果、大量のせんべいが鹿たちに供給されて皆お腹いっぱいなご様子。
あれほど執心していた鹿せんべいに見向きもしない。
コロナ禍の間は、さながらアマゾン川に落ちた水牛に群がるピラニアのようにせんべいに集まっていた鹿たちが大人しくなっていたのがおもしろい。
需要と供給のバランス。
 
博物館前にある「鹿溜まり」にて、ようやくせんべいを食ってくれる鹿と遭遇する。
 

 

みんな200円を支払って鹿せんべいを買い、わざわざ食べてくれる個体を探して、鹿にせんべいを食べていただいている。
猫に使える飼い主のようだ。
奈良公園では、みんな鹿の奴隷になる。
 
奈良公園から東大寺まで歩く。
何回も奈良に来ているが、東大寺まで歩くのは初めて。
奈良の大仏がおわすお寺だ。
 

門やお堂や、金剛力士像がとにかくデカい。バカでかい。
デカすぎて遠近感がおかしくなり、脳がバグる大きさ。
柱に使われているのは、樹齢1000年はいってるんじゃないかという巨木。
科学の発展と建築技術の進歩だけでは、この建築は再現できないだろうな。
文化的に洗練された京都もいいが、この、圧倒的な歴史と「デカさ」で圧倒しようとする、脳筋な奈良が好き。
筋肉ゴリラのジャーリーガー打者が、技術のカケラもない腕力だけのスイングでとんでもない特大ホームランを打っているのを見るのと近しい感じ。
 

東大寺から意外と近かったので、春日山まで歩く。
百人一首にも読まれている山だ。
鹿に食われまくったせいなのか、木が生えていなくて芝生の原っぱが広がっている。
入山するには入り口で入山料を払わなければならない。
意外と小さく見えた春日山だが、ぐるっと歩くと1時間ぐらいはかかるみたい。
今回は時間がなかったのでパスしたが、今度はゆっくりと時間をとって登ってみたいものだ。
 
奈良駅から遠く、観光客が少ないせいか、この辺の鹿はせんべいに貪欲だった。
これぞ由緒正しき奈良の鹿。飢えた獣。
 
せんべいやりを堪能するのならば、春日山近辺にまでは来た方がいい。
 
つか、なんでここの鹿は、せんべいが飽和して余っている奈良公園界隈まで行かないのだろうか。
アホなんか?偶蹄目はアホなんか?
 
腹が減ったとぐずる息子。
遅めの朝飯を食ってから結構時間がたっている上に、かなりの距離を歩いたので、そりゃ腹も減るか。
 
丁度いい軽食をとれるような店がなかったので、お土産物屋で鹿の形をした人形焼のような食い物「かのこ」を2個買って与える。
 

1個200円程度と結構割高だったけれども、息子氏、かなり喜んでおられる。
買った甲斐があったね。
このあと、鹿まんじゅうのせいで本日最大の悲劇に見舞われ、絶望のどん底に叩き落されることになるのを、このときの彼は知らない。
 
引き続き散歩。春日大社まで歩く。
春日山から春日大社の本殿は数百メートルの距離。
意外と近い。
バイク乗りにも人気なのか、ビシッと決まった格好でツーリングしているライダーをよく見かける。
鹿を轢かないように気をつけなはれや。
まあ、奈良の鹿は交通ルールを把握しているフシがあるので、杞憂かもしれんが。
 
春日山から春日大社にむかうと、参道の横手から入る形になる。
なので、敷地の境界線に鳥居も立っておらず「この中から春日大社」みたいな看板があるわけでは無いのだが、あきらかに「ここから春日大社の境内」とわかる、空気が変わる見えない境界線がある。
 
まず植生が違う、圧倒的に木々がデカい。そして、なによりも「雰囲気」が違う。
 
圧倒的神域性。
 
考えてみたら、いにしえからの原生林を敷地に持ち、神仏集合のはじまりで、千数百年の間日本中の人々から崇められ、年間2200回の催事を行い、正月3が日で29万人が訪れる、圧倒的に祈られた春日大社に神が宿らないほうが逆におかしいのかもしれない。
 
春日大社本殿に向かって、境内を散策する。
 
境内のそこかしこに様々な神様を祀る小さな社があるので、参拝しながら歩く。
 
日本には本当にたくさんの神様が居ると実感が持てますな。
 
と、ぷらぷらしていると、ものすごいスピードで背後から黒い影が通りすぎる。
 
烏。
 
両親が目を離した一瞬のスキをついて、息子の手から鹿まんじゅうを奪い去っていった。
 
一拍おいて、何がおこったか実感した息子は最初、笑いながら状況説明をしていた。
 
人は、極度の緊張にさらされると笑ってしまうことがある。おそらくそれだろう。
 
いかにして、烏が自分の手からまんじゅうを奪い去っていったかというのを説明する段になって、だんだんと顔が曇ってくる。
 
衝撃的な暴力にさらされたことと、あれだけ楽しみにちびちびと食べていたまんじゅうを、一瞬にして奪い去られた事実を認識して途端に悲しみに襲われたのだろう。
 
そして号泣。
 
からの、彼のなかで芽生える、圧倒的な烏への憎悪。
 
「なおくんは、わるいからすは、ぜっっったいにゆすさない」
 
彼の瞳に、さながらマーベルのダークヒーローのような暗く燃え上がる復讐の炎が宿った瞬間だった。
 
さながら実の両親、もしくは恩人がヴィランに殺された主人公のテンションだ。
 
僕は、そんな彼にこう言いたい。
 
「しょせん、食いかけのまんじゅう一個やぞ。落ち着けw」
 
その後、可哀想で憤慨する息子にソフトクリームを買ってあげた。
 
幾分か彼の機嫌は治ったようだが、烏への憎悪を完全に払拭するには至らなかったようだ。
 
彼は今後しばらく、烏への復讐を胸にいだいて生きていくのだろう。
 
食い物の恨みは、下に恐ろしいものだ。
 
そんなこんなの奈良探索。
 
もはや数回行っているが、毎回新鮮で面白い。
 
今度は時間をとって春日山にも登ってみたいし、ぜひぜひ食べ歩きや飲み歩きも堪能したい。
 
また行こう。